常寂光寺の紅葉(京都嵯峨野)

常寂光寺の紅葉

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常寂光寺(じょうじゃっこうじ)
 小倉山を背にして建つ紅葉の美しい日蓮宗の常寂光寺は、安土桃山時代の慶長元年(1596)に京都山科の本圀寺(ほんこくじ)の究竟院日禛(くきょういんにっしん、1561~1617)が、ここを隠棲の地として開創したのが始まりと伝えられます。 常寂光寺の寺名はこの地が佛が住む理想郷の常寂光土の趣があることに由来します。

 晩秋には境内全体が紅葉に包まれる常寂光寺は山門を入った所の拝観受付に長い行列ができます。頭上にさしかかる紅葉の下、本圀寺客殿の南門を移築した茅葺きの仁王門をくぐり本堂に向けて急な石段を登ります。

 仁王門両袖にみられる仁王は若狭小浜の長源寺にあったものを移したもののようです。坂の登り振り返ると赤や黄の紅葉の下に仁王門が静かにたたずんでいます。

 十界大曼茶羅が本尊として安置されている常寂光寺の本堂は桃山城客殿を移築して建てられたものです。本堂から散紅葉が浮かぶ池を横にさらに坂を上ります。

 坂を上りきった所に建ち紅葉に飾られる重要文化財の多宝塔は、檜皮葺の屋根の上に長い相輪が背伸びをしている桃山期の優美な姿を見せていますが、建てられたのは江戸時代初期の1620年頃のようです。多宝塔からは紅葉に染まった嵯峨野の光景と京都の市街地と東山の山並みまで遠望できます。

 藤原定家(ふじわらのさだいえ)がここにあった山荘・時雨亭で百人一首を編んだといわれており、境内を登りきった最奥に「時雨亭跡」の石碑と謌僊祠が建っています。

 謌僊祠(かせんし)には藤原定家と藤原家隆の木像が安置されていますが一般には公開されていません。公家の家系に生まれた鎌倉時代初期の歌人の藤原定家は応保2年(1162)に生まれ仁治2年(1241)に没しました。

常寂光寺の所在地
 京都市右京区嵯峨小倉山小倉町3
常寂光寺の宗派 日蓮宗
拝観受付時間 朝9時より夕4時半まで
常寂光寺の拝観料 500円
常寂光寺への電車とバス
●JR「嵯峨嵐山」駅より徒歩約25分
●嵐電「嵐山」駅より徒歩約25分
●市バス「嵯峨小学校前」下車、徒歩約10分
●京都バス「嵯峨小学校前」下車、徒歩約10分
駐車場はありません。