鶏鉾(にわとりほこ)
鶏鉾
中国の史話に由来します。堯(ぎょう、中国五帝の一人)の時代に天下がおだやかに治まり、諫鼓(かんこ、訴訟用の太鼓)を使う機会がなくなり太鼓に苔が生えて鶏が宿ったといわれる故事の心をこの鉾に移したものと伝えられます。
鶏鉾の鉾頭
竹で組んだ二枚の三角形の中に金メッキを施した円形の銅板が挟まれています。何を表現しているのかは定かでないようですが、鶏の卵が諫鼓の中にあるという説があります。
鶏鉾の稚児人形
天水引に隠れて見えませんが雄鳥を中心に据えた天冠を頭に載せています。文久3年(1863) に作られたもので口を少し開け歯を見せているのが特徴です。
鶏鉾の破風の鶏
細密に彫られた雄鳥、雌鳥は岸駒(がんく、江戸時代の絵師、1756~1838)の下絵によります。前部破風、後部破風ともに雌雄の鶏の彫刻が施されていますが、この頁の下の写真は後部破風の鶏です。
鶏鉾の懸装品
天水引の前には藍色の2頭の麒麟、後には鳳凰が細密に刺繍されています。
下水引は「唐宮廷人物図」が金地に綴織された豪華なものです。
二番水引には50匹余の蝶が緋羅紗地に描かれています。
鶏鉾の見送
国の重要文化財に指定されている鶏鉾の見送は16世紀頃にベルギーで製作された飾毛綴織(かざりけつづれおり:タペストリー)です。
画材は叙事詩イーリアスより「トロイの王子と妻子の別れ」を描いたもので、輸入や伝来の詳細はわかっていないようです。
鶏鉾の見送は重要文化財を忠実に復元新調したものを装着して巡行しています。元の見送は大切に保存されています。
鯉山の見送なども重要文化財に指定されていますが、鶏鉾の見送と鯉山の懸装品が同時に輸入されたものではないかと言われています。
鶏鉾の鉾町
京都市下京区室町通四条下る鶏鉾町